上杉謙信特化型のブログ ですが、ちょうどNHKで直江兼継をやってますので、謙信以後の景勝、兼継主従のことなども混ぜてお話したいと思っております。

2009年10月19日月曜日

直江兼継殿 元気に御座候か

此度の徳川殿との合戦、執着至極に存ずる。

さて、小山の陣での徳川殿との駆け引き、見事で御座った。

貴公の才覚にかけては申すべくもないが、敢えて景勝殿を説き伏せ、徳川勢に追い討ちするわけにはいかなんだか?

     返す返す口惜しゅう候。

その際、景勝殿を監禁し主導権を奪って戦すべき……されど、それは詮無き事……

  無理であろうな……。

 さて、さらば景勝殿に敢えて物申す。

戦は勝ってこそ戦であり、追い討ちをかけるは戦場の習い――
  戦はどの道――非道なものにてこれ候。

謙信であったならば迷わず追い討ちをかけたであろう。
  それが戦場の掟……戦場に刀鎗を携えて現れれば、これ即ち、必死の心底にあるのが武士の慣わし……

      迷わず討たれるがよかろう。

関八州はもともとわれらが土地……徳川軍を追撃し、上杉の毘沙門の旗を押し立てれば、佐竹を筆頭に関東の土豪たちは進んで上杉の旗に馳せ参じるであろう。謙信以来培ってきた上杉の威風は、これ関東の地に磐石なり。

万が一敗れることがあっても、会津奥地に敵を誘導し、はたまた関東諸方に遊兵と化し、敵戦力を消耗させ、そのうちには石田を始めとする豊臣の軍勢が東へと馳せ下るをもって、

   さらにさらに万が一にも敗れることなく、勝機はわれにあり。

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